仕事も家族も、貪欲に楽しむ——能登の漁師町から神戸・灘へ、「家族経営」に寄り添うファミリービジネス税理士法人

宮崎良一(みやざき りょういち):ファミリービジネス税理士法人 代表社員/税理士・行政書士
石川県能登の漁師町出身。税理士資格を取得後、尼崎・大阪梅田の税理士事務所で約7年の実務経験を積み、2009年に独立。現在は神戸市灘区を拠点に、同じく税理士である妻とスタッフ1名の3名体制で地元企業を中心に支援する。家族経営(親子・夫婦経営)の支援と創業融資サポートを強みとし、ランチェスター戦略に基づく経営勉強会「経営の小学校」を主宰している。
まず、現在のお仕事の全体像から伺わせてください。税理士法人、サポート株式会社、行政書士事務所と3つの形態をお持ちですが、それぞれどのような役割なのでしょうか。
税理士法人は、一般的な税理士事務所としての業務を担っています。妻も税理士ですので、二人で運営しています。サポート株式会社は、税理士法人ではできない業務のための会社です。たとえばお客様が事業をやめようかと考えられているときに「念のためM&Aも検討してみませんか」とサポートする場合や、金融機関の融資支援を有料でお手伝いする場合、それから経営コンサルティングですね。ランチェスターの法則の勉強会など行っています。
行政書士事務所は、遺言や、税務を必要としない相続のサポート、公的融資や補助金といった業務が必要になったときの受け皿になっています。
お客様は、どのような方が中心ですか。
今は110社くらいのお客様がいらっしゃいます。エリアはほとんどが兵庫県で、それも南側の地域です。神戸市がほとんどで、あとは西宮、芦屋、尼崎——大阪まで行かない、神戸から尼崎の間あたりに集中しています。
業種は特に絞っていないのですが、私が融資のサポートをするのが好きだったこともあって、介護事業所や障害者福祉サービスのお客様が3割ほどと少し多めです。どちらかといえば、社長おひとりで立ち上げられた方や、ご夫婦で経営されている方が多いですね。規模感でいうと、年商数千万円から数億円くらいの会社が中心です。
介護や障害福祉のお客様が多いのは、融資と関係があるのですか。
そうなんです。介護や障害者福祉サービスは、創業時に融資が絶対に必要な業種なんですね。訪問介護はそれほどでもないのですが、それ以外はほぼ必須です。ただ、金融機関選びというのが、皆さんなかなか難しい。そこで私は、どの銀行を使ったらいいか、経験則でだいたい分かりますので、「どんな形で進めていこうか」と考えるのが好きなんです。
奥様との役割分担は、どのような形なのでしょう。
妻はどちらかというと中にいて、申告書を作成したり、スタッフ1名と2人で「中」を守ってもらっています。私は融資や、複雑なご相談があった際に対応する担当です。規模が大きくて複雑になりそうなお客様は私が担当しつつ、普通に申告書も作っています。
この体制で110社は、正直かなり多い印象です。
よくそう言われます(笑)。ただ、これでは十分なサポートができないという悩みもあり、現在は新規のお客様を増やすことはせず、既存のお客様をしっかりお守りしていく方針にしています。
ここからは、宮崎さんご自身のキャリアを伺っていきます。ご実家はイカ釣り漁業をされていたそうですね。
そうなんです。漁師の息子として育ちました。子どもの頃はちょうどバブルの時代で、漁師は大変羽振りが良かったんです。景気のいい時期ですから、お酒を飲んでは豪快にお金を使う方も多く——ただ、バブルが崩壊していくと、倒産していく漁師も出てきましてね。
私はその家業の3代目だったのですが、「3代目はあかん」と周囲からよく言われていて、3代目になることへの怖さがありました。しかも私は船酔いをする体質でして(笑)。それで、継ぎたくないなという気持ちがありました。
そこから、どうやって税理士という仕事につながるのですか。
継ぎたくないなと思っていた頃、祖父が夜中に下へ降りていくと、そろばんで帳簿のようなものをつけていたんです。いま考えると確定申告だったのですが、「この仕事だったら陸の仕事だし、私も手伝えるかな」と思ったのが、ひとつのきっかけでした。
それから、母が銀行員だったんです。高校生のときに簿記の資格を取れた喜びを、常に聞かせてくれていました。さらに遠い親戚に税理士がいて、うちの事業を見てくれていた。それらが全部つながって、「税理士という仕事はいいのかもしれない」と高校の時に思ったんです。正直に言えば、漁師にはなりたくないという「逃げ」から始まったところもあるのですが(笑)。
税理士を本格的に目指し始めたのは、いつ頃ですか。
税理士への憧れは高校の頃から持っていたので、大学に入って2年から簿記の勉強を始めました。1年のときは、田舎者がいきなり大阪に出てきてホームシックのようになってしまって、なかなか苦労したのですが(笑)。
大学3年生の頃、税法を学ぶ中で、税理士試験と大学院という二つの資格取得ルートがあることを知りました。当時の私は、試験対策に集中するよりも、税法を体系的に研究しながら深く学び続ける環境のほうが自分に合っていると感じました。
ちょうど大学院には税理士試験に関わる先生がいらっしゃり、そのご縁もあって大学院へ進学することを決意しました。大学院で研究を重ねながら税法を学び続け、その道を通じて税理士資格を取得しました。
そこから独立までは、どのような流れだったのでしょう。
ちょうど就職氷河期の真っ只中でしたので、大学院の先生のつてで、尼崎の税理士の先生のところに行かせていただきました。ここで3年半ほど修行しまして。この先生が、何でも任せてくれる方だったんです。私は勉強はしていても実務は何もやったことがなかったのに、税務調査にも連れて行ってくれましたし、1年目からは普通任せてもらえないような大きな法人の申告書も作らせてくれました。いま思えば思い切った任せ方なのですが(笑)、私にとっては大変ありがたく、本当に楽しい日々でした。
ただ、この事務所ではできなかったのが相続でした。資産税をやりたいなと思って、次に選んだのが梅田の事務所です。
梅田の事務所は、どんな環境だったのですか。
「非常に厳しい」「毎日終電になる」と言われていた事務所です(笑)。ただ、当時の私はとにかく仕事がしたかったので、思い切って飛び込みました。先生は税理士業界でも有名な方で、本当に厳しい方でした。ただ、尼崎時代の私は我流だったので、「必ず根拠を持って仕事をする」という当たり前のことを、ここで徹底的に叩き込んでいただきました。
お客様のレベルも急激に上がりました。上場会社の社長をされていた方がお客様だったこともあります。大変聡明な方で、「こうなったらどうなるのか」と、マイナス面もすべて把握したうえで判断されたい。こちらの理解が浅いとすぐに見抜かれて、徐々に答えられなくなってしまう。「もっと勉強しなさい」と(笑)。苦しい経験でしたが、大変勉強になりました。
「とにかく仕事がしたかった」というのは、どんな感情だったのですか。
何でしょうね。知識の底なし沼のような世界なんです。着地点がない。勉強してもしても、どこにもたどり着けない。それが面白くてですね。若い頃は負けず嫌いだったのか、同じような境遇の人たちには絶対負けたくないという気持ちもありました。
相続も、やったことがないのに手を挙げたら、いきなり任せてもらえました。幸運だったのは、たまたま隣の席に、相続に強い方が入ってこられたことです。仲良くなって、厳しい場面でも隣でサポートしてくれて、実務を丁寧に教えてくれました。おかげで相続もだいぶできるようになりました。修行時代は、本当に濃い時間でしたね。
独立は、どんなタイミングで決断されたのですか。
実を言うと、事業再生のような仕事もやってみたいなと迷っていたんです。そうしているうちに、年配の友人の税理士さんに「独立したいのなら、なぜ今しないのか」と言われまして。将来やるなら早くやってしまおうと、一気に舵を切りました。その方がご飯を食べられるくらいの仕事を回してくださって、背中を押してくれたんです。今も一緒に仕事をすることがあります。
開業から16年。振り返って、転機はどこにありましたか。
まず、開業直後の「何もない状態」ですね。仕事を少し回してもらえたとはいえ、食べていける状態ではない。妻も働いていたのですが、ちょうど子どもができて仕事を辞めて、ほとんどお金がない状態でした。
でも、この状態がかえって良かったんです。お客様がいないので家でのんびりする時間も楽しかったですし(笑)、何もないから、自分で何とかしないといけない。ホームページを作らないと、マーケティングの勉強をしないと、自分の目でどうやってお客様を増やしていくかを考えないといけない。この状況が自分を追い込んでくれたのが、ものすごく大きい経験値でした。
具体的には、どう動かれたのですか。
皆さんどうやってお客様を増やしているのかを知りたくて、ある経営コンサルティング会社のセミナーに行きました。すると若いコンサルタントの方が事務所まで来てくれましてね。「お願いしたら、年間どれくらいお客様が増えるんですか」と聞いたら、「20〜30件くらいですかね」と。当時の私には天文学的な数字でした。ただし最低でも300万円かかりますよ、と言われまして——妻と一緒に貯めていた500万円があったので、妻に相談せず、その場で契約してしまったんです。後でずいぶん叱られました(笑)。
でも、そのコンサルタントの方が本当に優秀で、予定どおり1年で20件以上増えたんです。お金の使いどころ、投資の大事さを学びましたね。
そこから今の「地域密着・家族経営専門」のスタイルには、どうつながるのですか。
実は、そのやり方は「安く見せてお客様を獲得していく」集客だったので、自分の中ではあまり好きになれなかったんです。もちろん結果としては良かったですし、当時5万円で契約したお客様が、今では年間300万円以上お支払いくださる関係になった例もあります。ただ、自分が逆の立場の税理士だったら、あまり良い印象は持たないだろうなと(笑)。
それともうひとつ。私たちが最初にお手伝いするお客様というのは、初めて会社を作る創業者の方がほとんどで、黒字にするのも一苦労なんですね。相続や資産税の勉強をいくらしても、この方たちの経営を何もサポートできている気がしなかった。経営の法則のようなもの、売上の上げ方を教えられないか——そう思っていたときに、コーチングを学ぶ中でご縁があって、ランチェスター経営を勉強したんです。独立して3年ほど経った、12年くらい前のことです。
そこから集客の方法も大きく変えました。地域は事務所の周りくらいに絞る。顧客層はご夫婦でされているような家族経営の方に絞る。チラシも近所に集中投下して、近所の金融機関の方々との関係も深めて。私自身、移動時間がほとんどなく、皆さん近くから来てくださる。スタッフも自転車で通える近所の人。この「地域を小さく絞る」やり方が、自分には非常にしっくり来たんです。お客様への経営アドバイスも、ランチェスターに基づいて考えるようになりました。「経営の小学校」という勉強会を開いてきたのも、この流れですね。
地域を絞るのはランチェスターの定石として、「家族経営」に絞ったのは、やはりご自身の原体験からですか。
そうですね。実家が漁師をやっていたとき、父も母も、祖父母も、母の弟も同じ船に乗っていて——その光景がとても幸せなものに映っていたんです。私も網運びを手伝ったりしていて、「家族経営は良いものだ」という思いが、やはり根底にあるんです。
家族で稼ぐことは、私利私欲を肥やすような話ではなくて、ピンチのときに家族だったら助け合える。それに、工夫すれば自由な時間も作れるんですね。「ファミリービジネス」というのは、家族のプライベートと仕事、両面のいいとこ取りをしようという意味です。仕事もプライベートも両方充実させる。それが私の究極の目標というか、テーマなので、法人名にもそれを込めました。
実際のお客様にも、ご夫婦の会社は多いのですか。
必ずしも全部ではないのですが、多いですね。今日この後お見えになるお客様も、社長と経理を担当されている奥様のご夫婦です。株主が親戚という会社もあって、そうなると「株式を分散させないためにはどうするか」といった相談も出てきて、アドバイスの幅がまた広がっていくんです。
現在は、税理士業の積極的な集客をやめられたと伺いました。どんな考えの変化があったのですか。
税理士は、税理士として比較されてしまうんですね。「税理士はみんな同じ」という比較のされ方をすると、価格競争になってしまう。私自身、生きていくうえでお客様の数をこれ以上増やす必要もありませんし、既存のお客様を守ることを第一に、新しく増やすなら、CFO的な財務支援やコンサルティング——「口を動かして」サポートする方が自分に向いているなと思ったんです。
具体的には、どんな支援ですか。
会計ソフトはfreeeを使っていますので、経理の仕組みを整えて、経理に時間を取られないようにする。そのうえで資金繰り表を社長ご自身が作れるようになったら、非常に価値があるんです。お金の流れを読める社長になって、仕事も順調、プライベートも順調に持っていけたら理想的だなと。そういう社長を増やしていけたらいいなという思いがあります。
いま一番時間を使っているのは、どんな活動ですか。
勉強ですね。CFOの勉強もそうですし、誰も知らないようなマニアックな税務の勉強も好きで、教材は金額を問わず購入してしまいます(笑)。それから投資の勉強にもかなりの時間を充てています。朝起きたらまず真っ先に、世界の最新情報の音声を聞いて、今日は株がどうなりそうか、大きな流れをつかむ努力をしています。自由な時間を生きていくには、資本の力も借りないといけないところがありますので。事業がある程度うまくいってお金を貯められたら、そちらにも回していく。ご自身の責任にはなりますが、「自分はこうやっていますよ」くらいはお客様にお伝えしてもいいのかなと。
あとは、なるべく17時で仕事をやめて帰るようにしています。早朝と夜に勉強はしますが、いわゆる税理士業は税務署と同じ時間でしかやらない。土日は妻と「事務所を今後どうするか」なんて話をしながら、飲みに行ったりしています(笑)。
まさにご自身が、家族経営の成功例を実践されているんですね。
そうなんです。「この生き方は良い」と、まず自分自身がそう思える状態でないといけないと思っています。こういうやり方もある、こんな生き方もある、というのをお見せしていきたいですね。
今後挑戦したいこと、描いている未来像はありますか。
既存のお客様にはご高齢の方もいらっしゃるので、最後までしっかり見守っていきたい。増やさなければお客様は徐々に減っていきますから、そうしたら今度は、自分の時間に軸足を移していこうと思っています。今まで仕事にだいぶ偏ってきた部分もあるので。
子どもが大学生になるくらい——5、6年後くらいから、徐々に妻と世界旅行に行ってみたいんです。パソコンなど仕事の環境も持っていって、いろんなところで仕事をしてみたい。お客様の数は増やさず、しっかり遊びながらも、ちゃんとサポートはする。「こんな生き方も良いな」と思っていただけたら、それで良いのかなと。
最後に、この記事を読まれる方——これから創業される方や、ご家族で経営されている方へメッセージをお願いします。
せっかく生まれてきたわけですから、楽しくなければいけないと私は思っているんです。仕事だけというのも寂しいじゃないですか。家族もちゃんと大切にして、家族仲良く生きて。「家に帰りたくない」ではなく、早く帰って家族と過ごしたい。そして仕事も一方で精一杯やる。両方を貪欲にやりましょう、と。
無理に大きくしていくのではなくて、小さくてもいいから、仕事と家族を大事にする。そして人生を楽しむ。そんな生き方を目指したいという方が、これからの私のメインのお客様かもしれませんね。
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名称:ファミリービジネス税理士法人
代表社員:宮崎良一(税理士・行政書士)
所在地:兵庫県神戸市灘区永手町5丁目2番7号 イソベビル2階
取材後記
大阪での勉強会でお会いした際の柔らかな物腰そのままに、終始楽しそうにご自身の歩みを語ってくださった宮崎さん。「あまり良い記事にならないかもしれませんが」と謙遜されていましたが、蓋を開ければ、能登の漁師町の原体験から梅田での濃密な修行時代、貯金を投じた独立直後の決断まで、起伏に富んだストーリーの連続でした。
印象的だったのは、「税理士の集客をやめた」という選択が、決して守りではないことです。17時に仕事を終え、朝は世界のマーケット情報から一日を始め、土日は奥様と事務所の未来を語りながら飲みに行く。お客様に勧める「家族経営のいいとこ取り」を、誰よりもご自身が実践されている。その説得力こそが、宮崎さんの最大の強みなのだと感じた取材でした。
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※ 本インタビューの内容は取材時点のものです。事務所の体制やサービス内容は変更される可能性があります。最新の情報については各事務所に直接お問い合わせください。